雑文集

徒然ってる

クリティカルイシュー無し

早足のみどりの表参道からむらさきの表参道、並行して少しだけ一緒に走る向こうのやまぶきいろ、向こう側はいつも少しだけよく見えて鮮やかそれ補色のせい一瞬のせい、色相環のいらなさとこめかみから乾いてスーパーサッド、せめて湿度があればなあ、せめて湿度があればなあ、せめて気化する前ならなあ

粉にしたら味のしないポカリみたいなそれ、風が吹いてぜんぶ飛んでいったらいいのになあ
楽するとか現状維持だとか能動的でないストーリーは衰退敗退後退おわりだよ

なまぐさい気持ちに置換しておうどいろの駅
はすむかいの白のALLスターハイカットの血管みたいな赤い線などをみていた

ここ最近映画は全く観ていない


2020/08/12 8:19 通勤電車 iphone

現実逃避週間

ここ最近まとめていっきに観た。

現実問題なら映画がいちばんだ、小説だと想像しすぎて考えすぎてより現実の輪郭がエンボス加工されちゃうから。

「ケンとカズ」

最初はインディーズぽい雰囲気、ありがちな様でじぶんにとってのリアルではない世界線で起きていること的距離感で見ていたけれど役者さんありきのずしんとした映画だった。

プリンばっかり食べてるにこにこのヤクザの人がすごく魅力的で、気になりすぎて俳優さんの名前しらべちゃった、高野春樹さん。

正直「沈黙」におけるイッセー尾形ポジションというか、惹き付けられて瞬きまで気になって追っちゃってた。他のも観てみよ。

「白河夜船」

原作はずいぶん昔、中学生くらいの時に読んだわりによく覚えていて、吉本ばななの文体の湯気みたいな空気感、映画でそれ出せるのか~、と何故か最後リラックスして観終わった。

ただの渋谷(桜丘町の歩道橋だったかな)も恋してる人たちが歩くと不倫だとしても生ものぽさはぼやけてうっすら絶望のちきらめきが溢れてた。シーツのつめたいところ探す旅に出たくなった。

六月の蛇

途中までわくわくして観てた、微妙な精神的グロというか、65パーくらい映像がアヴァンギャルドな、それでいて微量なハッピーエンドで急な疎外感、小さなボートから張りぼて無人島にいるふたりを観ていてココナッツかと思ったらピスタチオだったので割ったらちゃんと割れました的なオチだった。お家が平和じゃないおしゃれさで良かった。

夜空はいつでも最高密度の青色だ

まずタイトルが気になるしエモいし良いよね。

原作を読んで無いからかもしれないけれど、わたしの今の心境にはわりとあっさりとんがりコーンの塩味くらいのしょっぱさだった。

歯触りいいね!みたいな。その時期は通り越してしまって、すりガラスみたいなリアルというか、東京が地元だからかもしれない。

渋谷はただの渋谷、何もないよなあ

「恋人たち」

3人の主人公、初めは痛々しくて何も悪くないのに恥ずかしくなるくらい見ていられないのに、思わずみんな好きになってしまう、

普段見えない種類の、すぐには出てこない人間の泥臭さに自分の分も一緒に気づく映画。

ハッシュ!も久しぶりに観たくなった、あれ最高。

「CALL ME BY YOUR NAME」

映画メモ

「CALL ME BY YOUR NAME」

胸がつまりすぎて何も正確に文にできない

劇場で観たかったちゃんと

池に浮かんでひかりにあたるちりひとつまでぜんぶうつくしくてくるしくて後からあとから喉の奥があつくなる、観終わってからゆっくり顔がぐしゃぐしゃになるタイプの涙が出てぜんぜん終わらないので後で

「リバーズ・エッジ」「南瓜とマヨネーズ」

映画メモ

リバーズ・エッジ

昨日観たけど眠くてお風呂にも入らず寝たのできょう書く。

というか映画観たときしかこのブログ(ブログなのか?)思い出さない嗚呼

 

原作の衝撃はみえない刺青みたいなものでわたしが忘れていても脳漿が思い出すものだしずっと忘れないから登場人物のインタビューシーンはなんとなくああいいねってなびけなかった。原作好きあるある

原作の90年代特有のせつないださいかんじとかキャラクターが漫画のビジュアルそのもので原作を読んだ時の謎の品川埠頭への謎のあこがれもそのままの風景でセイタカアワダチソウもごぼごぼいう泡もイメージと合致っち

 

原作への思い入れがとてつもない硬さだとどうしてもまっさらな気持ちでみっるのがむずかしいから感想はうまくかけない。

若手の実力人気俳優ばかり出演していて若いこたちが飛びつきそうなキャストだけど最近のJ‐POPとかTHE!!SHO!GYO!E-GA!!!!!!!がすきなひとはポカン映画なんじゃんしらんけど

 

これはあれだねEXILE帝国にアレルギー反応起こすサブカル好きみたいなありふれた拗らせ方っぽいし実際そうだけど、

サブカル好きでいいじゃん、ジムジャームッシュの卒業制作あれもまたいいよねみたいなとかおしゃれっぽいもんねスタイリッシュだねみたいなさ、そういうの、何だよすきじゃわるいのかよ

タランティーノもジムジャームッシュウディ・アレン(マンハッターン)もジョージルーカスもスピルバーグもクリントイーストウッドもみたよ王様のブランチで特集されまくるやつは大体観ないよインタビューし過ぎだよ公開する前に手あかでビッショリで寝汗びっしょり

ぜんぜん映画メモじゃなくなった。この映画はすき。

 

 

南瓜とマヨネーズ

 

魚喃キリコとともに高校時代がはじまって去っていったのでこれも思い入れがありすぎてハギオがハギオすぎた。

しわわせになりたいくせにハギオは本当にハギオすぎてハギオみたいなのに出会ったらじぶんでやめられないから圧倒的に出会ったらもう終わり、

自分の魅力を素晴らしいタイミングで自由自在に撒き散らせるひとと、それを致命的に受け取ってしまう相性最高で最低なひとたちで恋みたいなこして相手によっては逆転してほんと流浪の民

 

映画と話し外れるけど女のひとは王子様待ってるみたいなふんわりした裏でどうしようもなく現実的、超現実的。泣いてるときは今日マスカラ耐水性だっけとか涙ふき取っているようで綺麗にしたまつげの繊維とってる、引き続き泣きながら

男のひとのほうが比べるまでもなくロマンチストで夢見がちでピュアピュアハート

現実的多めの中間くらいがたのしく生きていけそう

 

今日はエンドロール終わってひさかたにアルコールを摂取しゅた。

自らアルコール摂取したいと思ったのは本当に久しぶり、多分去年ぶり。

2ねん前に誕生日会的なものでもらったその時の写真入りのロゼ。

美登利寿司の湯呑みにくすんだクロエの香水みたいなピンク。あつい。

 

このふたつの映画は公開されたら絶対行きたかったのに結局行ってなくて

そういう映画がここ数年でまだいろいろあって、ひとりで映画に行くことは無色の泥にガラス瓶割って粉々だからきらきらできるみたいなそういうポジションだったのに

 

ほんとなにしてるんんだ?

今日わたしいま33歳かと思ったら32歳だったし十分すぎるくらい大人だった、こわすぎ超現実。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オーバー・フェンス」

映画メモ

「オーバー・フェンス」

 

どのシーンもいちいち一枚絵みたいに画角が完璧でいちいちトリミングしてるんじゃないかくらい画角が完璧なまま視点も一緒に動いていて、

フェンスの青の位置、アサヒスーパードライの銀色の位置、赤い車の位置がきれいにおさまってた、自転車ころがすだけなのにさりげなく視点もゆっくり抜けていくのでした。

 

脅迫観念ぽく何回も体ふくシーンすきだったな。

ふけばふくほど気持ち悪くなってゆくのあれ

 

部屋中の窓の鍵しめたコンセントきった火の元確認した水とまってる換気扇ついてるごみまとめたヘアアイロンさめてるっ電気消したっていうのいっこでも確認できてないと部屋から出られなくなる自分でかけてる呪いには名前がつく名前ってべんり。

 

やることやっても全然怒鳴りあうしメンタル地獄の質問攻めだしよけい悪化したりぶっこわすほうもこわれる方も生きてるだけでつらみ、函館ってか田舎の夏のくもったフィルター加工みたいな空以外解像度ばぐってるあのかんじ

 

コンクリートの砂ぼこりにいきなり花が咲いて居たり錆びた看板の向こうにきれいな青の夏色で、よくわからないけばけばしいスナックのネオンとかすこしずつださいギャルとか中盤の圧倒的な共感性羞恥で胸が張り裂けそうもうはりさけた、

 

邦画というか映画の中でみるとぼろいアパートも畳もなんてことない部屋もなんだかよいものに見えてくる畳へのあこがれ

 

今日わたしはそういうつもりじゃないださい台詞を言った。

 

そういうつもりじゃないっていうのが一番ださくて悪にも善にも毒にも薬にも何にもなれないというのは愚行であり誰にも優しくなくて自慢や侮蔑の方が全然まし、「まし」って言葉自体、いつも何かに対して愚かだし一文がもうぜんぶ長い

 

ぜんぶに対して終わりどころがへたくそなのでラストシーンにいつもあこがれちゃうな

 

 

 

 

 

「生きてるだけで、愛」

映画メモ

「生きてるだけで、愛」

 
いっこずれたら1ミリずれてもう全部だめだからそれは壊れかけているということでそれは気持ちわるいからぶっこわしたくて壊したその情景もあともぜんぶ見えるからこれから悲しくなるのもいやだめんどくさい靴をはくことも脱ぐこともむり私がわたしに何もしてくれなくてただ四角くなった光の角がいますこしだけぶれたらすぐに動き出せるのにと思いながら目で直線をなぞっていました
 
 
ってかんじの映画

「愛がなんだ」「パプリカ」

映画メモ

 

「愛がなんだ」

 

だいたいの20代も後半戦にさしかかった男女はてる子にもまもちゃんにもなった事はあってしかもおびき寄せていて、客観的な目線はころして(そのほうがたのしいし)

気づかない残酷さとかだからこそ関係性が成り立っているあのかんじ、

くそみそちゃん無限ループだけど楽しそうで何よりです

 

まもちゃんも誰かの前ではてる子でてる子も誰かの前ではまもちゃんなのでした、

誰かにとってのまもちゃんの時てる子でいるとき程、誰かのまもちゃん的存在でいるのは左程たのしくないんだよな。らくちんなだけで

 

全然関係ないけど動物園でぞうながめて茶番したいし赤ちょうちん的居酒屋でよくわからないけどなんか仲良し(ぽい、もしくはこれからなる)な男女でビール飲むのって楽しかったよなそうだったよな。若さゆえ~っていいなあよきよきのよきすぎ~

 

「パプリカ」

 

わたし時計じかけのオレンジがいつまでもマイベストでありずっと新しくて何にもなつかしくならないのだけれど、これもそれだしあれもどれ

最後のラスボスバトルはあっさりしていたけどだからよいのかも。

起承転結どーん!ではなくあの映像は才能の魅力を自由自在に爆発させていくひとたちのあつまりってかんじで指くわえるまでもなく瞬きもったいなかった。

こういうの観たあとってその興奮をだれかと語り合いたいわけでもなく、かといってひとりでおさめることも出来ず、ああそういう時にひとはお酒を飲むんだねって冷蔵庫にはいつかの開けていないロゼがあっていまこそ状態を無視して無理やり寝た。

どうせ自宅待機なのに社畜でやんなっちゃうよ、一文が長いんだよ

わたしもパレードしたいよひとりで