「オーバー・フェンス」
映画メモ
「オーバー・フェンス」
どのシーンもいちいち一枚絵みたいに画角が完璧でいちいちトリミングしてるんじゃないかくらい画角が完璧なまま視点も一緒に動いていて、
フェンスの青の位置、アサヒスーパードライの銀色の位置、赤い車の位置がきれいにおさまってた、自転車ころがすだけなのにさりげなく視点もゆっくり抜けていくのでした。
脅迫観念ぽく何回も体ふくシーンすきだったな。
ふけばふくほど気持ち悪くなってゆくのあれ
部屋中の窓の鍵しめたコンセントきった火の元確認した水とまってる換気扇ついてるごみまとめたヘアアイロンさめてるっ電気消したっていうのいっこでも確認できてないと部屋から出られなくなる自分でかけてる呪いには名前がつく名前ってべんり。
やることやっても全然怒鳴りあうしメンタル地獄の質問攻めだしよけい悪化したりぶっこわすほうもこわれる方も生きてるだけでつらみ、函館ってか田舎の夏のくもったフィルター加工みたいな空以外解像度ばぐってるあのかんじ
コンクリートの砂ぼこりにいきなり花が咲いて居たり錆びた看板の向こうにきれいな青の夏色で、よくわからないけばけばしいスナックのネオンとかすこしずつださいギャルとか中盤の圧倒的な共感性羞恥で胸が張り裂けそうもうはりさけた、
邦画というか映画の中でみるとぼろいアパートも畳もなんてことない部屋もなんだかよいものに見えてくる畳へのあこがれ
今日わたしはそういうつもりじゃないださい台詞を言った。
そういうつもりじゃないっていうのが一番ださくて悪にも善にも毒にも薬にも何にもなれないというのは愚行であり誰にも優しくなくて自慢や侮蔑の方が全然まし、「まし」って言葉自体、いつも何かに対して愚かだし一文がもうぜんぶ長い
ぜんぶに対して終わりどころがへたくそなのでラストシーンにいつもあこがれちゃうな