雑文集

徒然ってる

GENKYO

買い物、選んでいる時と手に入れた瞬間が楽しくて
持って帰ると最初の高揚はもう無い。

ご飯、胃の位置を感じられる空腹さを持った最初の一口、
満腹になった後に飲むコーヒーの退屈さ。

絵は最初から最後まで、ゆりかごから墓場まで楽しい地獄で終わらない。
お腹いっぱい夢いっぱいでは絵は描けないので空腹でいる必要がある。
退屈とお腹いっぱいはよく似ていてエレガントさの対極にあるもの。

せめて飢えたまま退屈でいたいけれど、
では高揚感や刺激的な事物はエレガントかというとそれも馬鹿みたい。

 

いつも食べたいものが無い。うっかりどうでも良いものでお腹を満たしたり。
そろそろ仙豆のようなものが開発されても良いのでは無いのん?

 

横尾忠則の展示に行ってから魂がほとんど抜けている。
どのコーナーも立ちつくしてしまう絵が多くあった。始めの方にあった「デイナーパーティーの会話」という絵で随分立ち止まって、
今から大量に作品を見るというのに全部見たらもう絵を描けなくなる気がした。
何処までが自分なのか、自我、個体としての自分の概念を忘れた癖にあるのは視覚と脳と手だけでアミービックなあの時間、絵を描いている時のそれと同じ。

 

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お酒を飲みたいけれど怖くて飲めないまま数カ月たち、お肉も数カ月前から理由もなく食べられない。
素面で正気を保つのは正気の沙汰で無い、南無三終わりんちょ

 

 

 

 

 

 

お粗末太郎

これからの重要な事なんて何一つ考えてはいけません、数えたことも無い牡蠣を今年はあといくつ食べられるかな、とか牡蠣と欺瞞という字面ははとこくらいの薄さで似ているな、見た目は欺瞞そのものだな、とか

そういう事で頭をいっぱいにしないと乗ることも降りることもできません

右から出たい時に左に足が動くのは考えない練習の成果、むしろ考えすぎている結果、

どうでもいい事ばかりを気にしながら振袖を着て転びたい、大福の粉で口のまわりを真っ白にしたい

父は裏を返しすぎて結局表になるようなひとだった、

しんでないけど生きてもない

思い出すのは顔よりもセーラー襟の三本線、直角に曲がるそれ、

生きてもないけどしんでもない

このまま電車を降りて動物園に行きたい、そういう事を1度でもすると二度と生活に戻れない気がしてきちんと我慢する

欺瞞と打つと予測変換で勝手に我慢に変換される、きちんと欺瞞する

通勤電車にて

日々の日々が泡

シャンプーの泡が切れる間などに突然思い出されるあの時この台詞を言えばよかったのか、と

でもあの時は相手と同じ土俵に立ちたくなかったんだよな、が大乱闘スマッシュブラザーズして星のカービィに首ちょんぱされて2人とも星になって相撲取りも座布団拾いもわたしも納豆菌もいつかみんなしぬ

いつかしぬという事実はいつかしぬんだからぜんぶ意味無いと言う気分、いつかしぬからこそ今心地よくなりたいと言う相反する気分が絡まり合い、致死量を超えたねるねるねるねになってみんないつかお星様になって空から落ちてしぬ

序曲祝典

先輩後輩同輩ともに微妙に仲良くない吹奏楽部だったこと

それなのに難易度高い曲を自由曲に選ぶ見栄っ張りな部だったこと

 

そもそも最初に入った美術部が萌絵ばかり描いていて退部したら帰宅部を許さない担任に内申点下がるぞと言われて仕方なく入ったこと

下がるのは私の内申点ではなく担任の評価って言えなかったこと

 

 

それでもサックスが好きになり必死で練習してこの曲の初見時に講師に褒められて嬉しかったこと、そのせいで1stの先輩に微妙に嫌われたこと、

自分だけが褒められてはいけない空気と言うのが存在するのを知ったこと

 

サックスを吹けるようになるのは楽しかったが集団で帰るのが息苦しく、帰り道の途中で気づかれず抜けて別の道から帰る技を磨いたこと

一人で帰りたいと言い出すつよさも無く、

2年時の夏のコンクールが終わり副部長になり(内申点)限界が来てサボり出したこと

 

 

ほか全て合わせて走馬灯が過ぎる、既に社会性を身につける練習が始まった思春期の痛みではない方の痛さとか、

 

曲自体はすごく好きなのに聞く度に自分へ共感性羞恥を感じて何とも言えない微妙な気分になる

 

最後の終わりそうで中々終わらないフィナーレへの階段で微妙に仲良くないところがいちばん現れていた

 

みんなで何かやることのイメージがいつもこの曲に直結している

そこから永遠に文化祭をサボり続けている

かりかりのぐにゃり

毎晩お風呂の後か前にコロコロとかクイックルワイパーで髪や埃を取っていて、

今日はゴミにしては大きくて埃にしては存在感のある影があってなんだこれは?という気持ちでつまんだら亡くなった蜘蛛だった。

蜘蛛には申し訳ないけれど虫が苦手なのでひゅっとして謝りながらちり箱へ入れた。

その感触が干からびているのにぐにょっとしていて弾力がある感じもして、

わたしもいつか終わったらこういう感じになるのかも知れないんだな、とふと思った。

愛がありあまっているけれど誰かにぶつけるのは今じゃない、という感じの日々で、しばらくはそうやって過ごしたいけれど、

いつか誰かにかりかりのぐにゃぐにゃになる前にぶつけられたらいいな

おやすみなさい元い、お刺身野菜

輝かしい失敗から、はじめよう。

■夏休みはホルモンバランスに身を任せて体調が良くなった頃おわってしまった。

■相変わらず数学のやり直しを続けている。チャート+合格る計算トレーニングの2冊をひたすらやっている。日記タイトルはチャート式の冒頭のコピー。

■ 部屋に入ってきた虫に名前を付けて同居人みたいにしている

■退勤までに社会性をすべて使い切っている、ニコニコがにやにやでも割とばれない

■OLコスプレはわりとたのしい、擬態する昆虫、カモフラージュ三白眼

■ほとんど友達のいないじぶんにとっての友達という概念は童貞にとっての交際(したい)相手と一緒で、この人と仲良くしたいと気づいた時の気持ちの昂りは初めて話しやすい女の子に出会って勢い余る童貞のそれと同じ、暑苦しいし重い。

童貞と仲良くした方が早い説が否めないけど友達100人作るなら彼氏100人作る方が簡単だし早いと思う人間なので童貞にビッチ認定されてまた友達になれない。友達がゲシュタルト崩壊に飲み込まれて爆破した。

山田玲司せんせいがYouTubeで友達が必要なのか?と考える時点でメリットデメリットを無意識に考えており、潜在的に友達を必要としていないと言っていてほおおん、と思った。

学生時代、一匹狼にもなれず学校行事の班決めで先生に「えみこさんを一緒の班にいれてくれる人~」って絶対言われたくないだけの理由で一緒にいるのが友達だったから、その話はすごく納得してしまった。

先日ヒャダインせんせいが30代になってからできた友達の方がずっと楽しいし仲良くなれるから、友達できなかった人諦めないでって言っていたので童貞卒業してから付き合うの3人目で経験人数は5人です、くらいの冷静さで、期待しすぎずチャンスを待とうと思う、おわり。